なにやら面白い物を見つけたので(まぁニュースからのリンクなんだけど・・・)



週末に入る前、御大の一人から貴重なアドバイスをいただきました。
それを週末に思い切って実行してみたら、見事な効果がありました。
そのアドバイスとは

「小説とか、好きなものを読んでみること」

どうしても、研究関連の文献を読まなければと思ってしまうのだけれど
やっぱり、人間としての幅的なものがどんどん追いつめられてしまう状態に
無意識のうちになっていたようです。
時間的な感覚を無くして、小説を読んでみたりすると
意外や意外!
それまで蓄積してきたものごとが、なんか有機的に結びついていく感じがしました。

外に出た友人も、この間小説によって語彙が増えるのを実感するって言ったので、
他でもいろいろと効果ありのようです。


そして、遊びに関してふと思ったことを
これは、御大と話していて芸術論に関しての話をしていた時に、遊びと芸術論は感覚的に限りなく
近しいものであるなと同時に、なにか異なる点があると思っていたことです。
多分それは、「時間と空間」をいかに超えるか、あるいは排除するか、その領域の外に出るかという
ことになるのだと思う。
これは、至極主観的なことであるけれど、「遊び」を「遊んでいた」という、自己観察的な側面で論じると
この感覚が一番しっくりくる気がする。
そもそも、これは何かに集中している状態(最近の流行りでいうとzoneかな?)にある時と同じだと思うけれど、それと同じ状態で「遊んでいた」ということを捉えてみようと思う。
そうなると、この状況は自己観察してしまった瞬間に崩壊するのか?
いや、そんなこともないとも思うけれど、、、、どうなんのだろう。。。

また、そう考えると「玩具」や「おもちゃ」はその状態への加速装置的な位置づけに置くことも可能ではある。


今後の参考文献たちがこれらについて、何らかのアドバイス与えてくれるといいな。